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院長紹介

この地域にもっともっと「笑顔に」を増やしたい

院長歯科医院から皆様に提供出来るのは治療だけではありません。

健康を手に入れる喜び、美しさを手に入れた時の自信に溢れる笑顔…。そういった『幸せ』『夢』『感動』溢れる歯科医院でありたいと思っています。

歯のお悩みやご相談のある方は、是非お気軽にご来院ください。
皆さまのご来院を心よりお待ちしております。

経歴

徳島大学歯学部卒業

 

幼少期

香川県高松市生まれ。子供の頃は何の取り得もなく、ただ元気なだけの男の子でした。


家の中でおとなしくしているというより、むしろ外で走り回ってはケガをして帰るという、とてもやんちゃな性格で、家人から「お前はいっつもケガしとるのぅ(してるねの意)」と言われていました。


小学生時代

お菓子好きだった私は、夜遅い時間にアメをかんで食べていました。
「ガキッ」という鈍い音と同時に何とも言えない鋭い痛み・・・。奥歯が真っ二つに割れていたのです。歯医者も閉まっていて、その日は泣きながら過ごしたことを今でも覚えています。


次の日、歯医者に行き、有無を言わさず抜かれました。暴れてもいない私を数人がかりでがんじがらめに押さえて・・・何とも言えない淋しい気持ちになりました。


しばらく経ったある日、歯医者に行くと、この前とは違う別の若い男の先生が座っていました。


「いいかい。今からする話は少し難しいかもしれないけど、何回もするからできるだけ分かろうと努力してみてね。キミ自身のことだからね。」

私にはさっぱり分かりませんでした。

が、次に行ったときもまた、同じ先生が私に対して同じように話をするのです。
話をまとめるとこのようだったと思います。

キミは歯を抜かれて、次の歯が生えてくるまで4~5年かかる。それまで歯がなければ食事を上手く摂ることが出来ず、健康面、学習面で困る時がくる。だから次の歯が生えてくるまでの間、入れ歯のような装置を常に入れておかなくちゃならない。ただし、これは目立つので友達からからかわれるかもしれない。でもキミの人生、将来の事を考えて話をしていることを忘れないでほしい。今だけを考えるのではなく、“あぁ、あの時こうしていたから、今良くなっているんだ”と考えて欲しい。

今から思うと、私が歯科の道に進むことになった最初の、そしてとても重要な出来事だったと思います。

 

中学時代

中学校時代は部活に力を入れていた学校ということもあり、あまり勉強には力が入りませんでした。

思春期ということもあり親に対しては何かと反発し、言うことを聞かないことも多々ありました。成績は一瞬良いときもあったのですが徐々に下降線をたどり始めました。

 

「勉強は?」の親からの声に対しても生返事。典型的な反抗期でした。この時期は親とも積極的に会話をすることもなく、今から思うとどんな生活をしていたのか不思議な感じです。

 

小学校高学年の時の担任の先生が「新聞は毎日読みましょう。」「自分の興味のあるところだけでも良いから、毎日続けることが大事です。」と話していたことがあり、いつまでも心に残っていたのか、その頃は毎日、新聞に目を通すのが日課でした。

 

ある日、新聞に「オーストラリアの10~20歳代の若者に聞いた、信頼できる職業は?」という記事があり、目を通してみるとベスト5に歯科医がありました。

 

その時、小学校時代の体験がフラッシュバックし、私の理想的な職業と人物像ができあがったのかもしれません。

しかし、どうすれば歯科医になれるのかなんて考えたこともなく、ただ毎日を自分なりに精一杯過ごしていた日々でした。


父親との思い出

父はとても無口で、あまり私と話をすることがありませんでした。


サラリーマンでしたが、私がまだ幼いころに独立し、測量機器の販売をしていました。私に対しては、仕事の具体的な話をするワケでもなく、私もまた父に仕事の話を聞くことがない、実にドライな関係だったと思います。


父は仕事を細々とやっていましたが、うまくいかないからといって文句や愚痴を言うことはありませんでした。黙々と仕事をしていたため、私は父親と遊んだ記憶というのがあまりありません。数少ない記憶の中の一つとしてあるのが無線機器類で遊んだことです。父はアマチュア無線をしており、よく国内外の方たちと通信していました。私は幼い頃よく流行していたスパイものやトランシーバー交信のようなマネごとをして格好つけながら遊んだことを覚えています。何やらヒーローやスパイのような「ごっこ遊び」をよくしていました。

 

高校時代

中学校時代の遅れを取り戻そうと勉強し始めましたが、既に手遅れで、結局希望校には入れませんでした。

部活も盛んではなく、「とても充実した高校生活を送った」とは言えない状態でした。

 

ただそういう状況の中でも部活動の同好会チームを作りもしたし、また、歯科医になろうと決めていた私は、これからは本当に勉強に力を入れようと心に誓いました。

しかし、中学校時代のツケが回ったのか意外と成績が伸びず、目標には遥かに手が届かないありさまでした。

 

コツコツと継続することの大切さを思い知らされた時でもありました。

 

結局私は、中学校時代の教科書を引っ張り出してきて勉強しなければならなかったのです。
くじけそうになったこともありました。
「もういいや。別にならなきゃいけないわけでもないし・・・。」
しかしそういった時は、不思議と思い出すのです。小学生の頃、真剣な眼差しで私に話してくれたドクター。
「あの人、格好良かったなぁ。あんなふうになりたいなぁ・・・。」

この思いが持続し、なんとか受験時代を乗り切ることができたように思います。
自分の思い、理想、熱意が強ければ強いほど、また明確であればあるほど、それは現実のものに近づいていくのかもしれません。
私が高校時代に感じたことは、努力を怠れば後で大きなしっぺ返しをくらう、という事と、決して諦めなければ必ず成功する(諦めた時点で失敗)という事でした。

 

歯医者になろうと思ったワケ

よく「歯医者なんだから器用なんでしょうね」と言われますが、特別器用ではないと私は思っています。
ただ小さい頃から細かいものをよくいじっていたり、物事を手順よく組立てたりはしていました。

「器用でなければ歯医者になれない」ってことは全くありません。
大事なのは自分の能力ではなく、心にある熱意・気持ちだと思います。

実は歯医者になろうと思ったのは中学生の頃でした。
きっかけは小学生時代の歯医者での出来事(小学生時代の思い出参照)と中学生の頃読んだ新聞記事の影響が大きかったと思います。

あれこれ悩んで仕事を決めたのではなく、
「これ(歯医者)になるもの」と信じて疑わなかったのです。

「どんな仕事をするのか」は、全く知らなかったのですが、「どんな人間性の歯医者になるか」というのは、既にある程度出来上がっていたように思います。

 

大学時代

大学時代は理想的な先輩といえる立場の人もなく、卒業生を囲んで社会に出てからの状況を聞くというようなこともなく、ただひたすら教えられることを学んでいった思いが強かったです。教えられることに何の疑問も持たずに・・・。「いかに上手く削って、いかに上手くかぶせ物を作るか」が最大の使命であるかのように、講義が続きました。

そこには質の良いコミュニケーションをどうやってとるかとか、私たちが相手にしているのは「歯」ではないんだよとか、その人が抱えている本当の問題に目を向けよう、といった内容の講義は一切ありませんでした。

当然、私自身も当時はそういったテーマ自体考えることが出来ませんでした。

そういったテーマは卒業後初めて、徐々に心の中に芽生えていったのです。 大学時代は気の合う仲間と共に自分の将来像について語り合ったりしたものですが、主な内容が何を専門にするか、どういった医院に勤めたいか(どんな院長のもとで勉強したいか)、どの地域で活躍したいか、などでした。

もっと理想をつきつめて、何のために歯医者になり、何をしたいのか、どういった貢献をしたいのかなどをハッキリ鮮明に映像が見えるくらい、自分の中に信念があれば良かったのですが、まだ浅はかでそこまでには至らなかったのです。

 

勤務医時代

卒業後は大学の研修医として働きましたが、研修期間の2年が修了した後は、一般開業医のもとで働き始めました。

大学の教えとは全く違うやり方にとまどいを覚えつつ、日々勤務に励んでいましたが、日増しに違和感を感じるようになっていったのです。

どういうことかというと、「歯医者としてのあり方」に疑問を感じていたのです。歯医者というのは通えば通うほど良くなっていかなければならないのに、通っても通っても良くならないことに理解ができなかったのです。

一生懸命「治療している」のに何故か悪くなってしまう。なぜなのか分かりませんでした。

開業前になって初めてこの理由が分かったのです。

勤務時代は院長の方針に従い、治療を進めていくことになります。院長の方針は「小さな虫歯は絶対見逃さず、削って詰めていく」というものでした。

最初は疑いもせず忠実に方針に従っていましたが、次第にこれは治療しなくても大丈夫じゃないのか?と考えるようになっていきました。

「虫歯の大きさ・痛みの有無・虫歯の有無に対する患者さん本人の自覚があろうが無かろうが、とにかく削って詰めていく」というのがここでは最重要課題であるにも関わらず、個人的に判断していくようになりました。

つまり、仮に虫歯ができつつある状態あるいは点状に小さい虫歯が奥歯にあった場合は、状態を説明し、どうすれば良いか(虫歯を大きくさせずにすむか)を提案するようになりました。

医院の方針には反することをしながらも、しっかり話を聞いて実行してくださりとても喜んでくれた方もいれば、「話ばかりしないでさっさと治療してよ。虫歯なんでしょ?」と聞き入れていただけない方もいました。

医院の伝統(?)が生き続ける中、一人の若造がやっていることは、当然ながら医院・院長を変えることはもちろん、患者さんの気持ちを変えることも困難なことでした。

しかし、自分の中では「確かに間違いない」と感じるものがあったのです。「歯はできるだけ削らないほうが良いのでは?」当時の大学の教えにも反するものでしたが、自分の中心となる信念ができつつあったのです。

日々、信念に基づいて勤務していたある日、院長に呼び出されました。

「歯を削って詰めるのが歯医者の仕事。それをしないお前は役立たず」 院長から言われた衝撃の一言は今でも忘れられません。

以降、不遇の時を過ごした私は結局一年足らずで退職しました。 院長の方針にどうしても従うことが出来ず、自分の信念を選ぶことにしたのです。

歯医者の仕事って何なのか・・・。

子供こ頃の思い出が鮮明に蘇ってきました。

子供に対してでも真剣な眼差しで「君の人生・将来のことを考えて話をするよ」と何度も何度も話してくれた先生の姿勢と熱意。

その場しのぎの治療をするだけでなく、長い目でみた場合の本当のメリットを考えて接することの大切さを学んだあの時のことを思い出しました。

「何かが違う」ずっとわだかまりを抱えたまま、しかしどこで働いても返事はいつも一緒、「削って詰めるのが歯医者の仕事なんだよ」だったのです。


(つづく)

スタッフ紹介

渡辺 久美子(歯科衛生士)

スタッフ紹介誕生日:12月25日
血液型:O型
動物占い:ぞう
趣味:カフェが大好きです。情報取集(*^_^*)して、行ったことのないところに行くのが楽しいです♡ shoppingも大好きです。なかなか遠出はできませんが、お友達とまったり時間を過ごしたり 子供がいるので家族で美味しい物を食べに行ったりするのが幸せです。お花も日陰でも大丈夫な花をみつけて育てるのが小さな楽しみです。

 

ひとこと:歯科衛生士の仕事に就く前は、歯科助手をしていました。何もわからずにこの世界に飛び込んで早・・10何年(笑)目標となった憧れの歯科衛生士さんに少しずつでも近くなっているかな?(・∀・)これからもゲストの方と一緒に考えたり、「よかった」と喜んでもらえるような、お口のいい環境をサポートできれば・・と考えています。

 

寒川 輝美(託児保育士)

スタッフ紹介 誕生日:9月13日
血液型:O型
動物占い:こじか
趣味:手芸布で袋やテッシュカバーなどの小物を作ること!手芸店での布選びから始まって簡単な手芸品を楽しみながら作っています。娘がうまれるまではミシンにほとんどさわっていませんでしたが幼稚園グッズを作り ミシンにはまってしまいました(笑)

 

ひとこと:託児保育士としてお仕事させてもらっています。かわいい子供達からたくさんの元気パワーをもらい楽しく過ごさせてもらっています。お母様が安心して治療できるように大切なお子様をお預かりいたします。楽しい時間を過ごしましょうね。

 

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